そっと寄り添う薬箱~自然からの贈り物~

心、感情、フラワーレメディに関すること等を綴りたいと思います。

記憶


淡い色が幾重にも重なり、風に吹かれて揺れながら周りを明るく照らしてくれているようです。桜を見ていて思い出すのは、以前手術入院をして回復した頃に桜を見に行くことができた日のことです。その日も今日のように雨が降っていて、じんわりと心の底から喜びや感謝の気持ちが湧き、目に映る景色が眩しく美しく感じられました。

 

こんな風に私たちは何かを見たり聴いたり感じたりしたことで、記憶がよみがえってくることがありますね。

 

手術といえば小学生のころに後頭部に怪我をして縫ってもらったこともありました。病室で目の前に時計があるのに二つの針がどこを指しているのか見えず、全体がぼんやりとしていて不思議だなと思っていました。後から聞くとあともう少し傷が深かったら失明していたそうです。

 

退院して頭に包帯を巻いて学校に行くと、クラスメイトが退院祝いを用意してくれていました。私が驚いていると、私も怪我をすればよかった、と言いに来た子がいたのでさらに驚きました。なんでそんなことを言うのだろうと思いその時は何も言えませんでしたが、のちにお祝いが羨ましくて発した言葉だったのだろうなと思いました。

 

このようなことは子供に限らず大人にもあるように思います。例えば嫌なことを言ったりしてきたりする人の中には相手が持っているもの、物質的なものも含め周りからの信頼や人気、成績や業績などに対して羨ましく思っているかもしれません。もちろん、言われた側された側からすれば嫌な気持ちになるのは当然ですね。

 

なので、ショックだった、嫌だった、悲しかった、傷ついた、などの自分の気持ちを大切にしつつ、だからもう言わないで、やめて、と伝えられたら相手に届くものがありますし、自分を守ることにもつながると思います。

 

そして誰かを羨む気持ちがあるということは、自分の本心に気づく機会だと捉えると人を傷つけずにすむのではないかと思うのです。

 

お読みくださりありがとうございました。

 

 

セラピーと内なる力

 

心の中の扉を開くとそこには黒がかった青色の感情が丸くなって座っていました。

私はその丸いものを藍と呼ぶことにしました。

藍は音楽に合わせてしばらく踊っていましたが、やがて動きは緩やかになりそこにしゃがみこみました。どうしたの?と尋ねると夜の海に行きたいと藍は答えたので、夜になるのを待って海へと出かけました。

 

そこにはいくつもの星と細い三日月が静かに輝き、海を優しく照らしていました。

波打ち際にちょこんと座った藍は波の音を聞きながら気持ちが穏やかになっていくのを感じていました。私はそっと柔らかな毛布で藍を包みました。

 

どのくらい時間が経ったのでしょうか。

海の彼方向こうにまぶしい光が景色を変える頃、一羽の白い鳥が飛び立っていきました。その瞳には藍色が輝きを放っていました。

 

 

今受けている授業の一つにアートセラピーがあります。

今回は絵を数枚描いたので、授業の後に絵本のイメージで小さな物語にしてみました。

自分が実際にセラピーを体感するとセラピーの優しさに救われます。言葉にできない気持ちや想いってありますよね。それを感じたままに表すことができるのです。

 

セラピーを終えて思うのは人は良くなろうとする力を持っているということです。

それは自分自身を癒す力とも言えますし治す力とも言えると思います。

今どんな状態であったとしても、たとえトンネルの向こうが見えないと感じていたとしても、私たちにはそのような内なる力を持っていることを忘れずにいたいですね。

 

それは自分の人生をあきらめていない、手放していないということなんだと思います。

 

お読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

私が昨年からお世話になっている所は皆とても優しくて温かくて居心地がいいので、ずっとこの場所に居たいと思うこともしばしばで、そんな居心地の良さを創り出している人たちにいつもいつも感謝をしています。

 

そんな居心地のよい今の状態が続いたらもちろん嬉しいのですが、例えば5年後どうなっているのかを想像すると、自分が望んでいることやこうありたい自分と重なっている部分と異なっている部分があることに気づきます。

 

今の自分はそれなりに満たされているけれど、本当はこれをしていたい、こんな風に過ごしていたいという今とは異なる望む未来があるのでしょう。

 

今の延長上ではなく、なりたい自分になるためには自分の中の心地の良いゾーンから飛び出す勇気も時には必要になってきますね。

それはとてつもなく大きなことや普段とかけ離れた違ったことをする、というような大それたことではなく、どちらかというと今まで何となくやらないできたり避けてきたりしたことと向き合うことなのかもしれません。

 

私たちはいつのころからか、自分は○○が苦手とか○○は無理などと自分に制限をかけてしまいます。それは昔うまくいかなかったことかもしれないですし、周囲から評価を受けたり時々言われた言葉でそう考えてしまったのかもしれませんよね。

もちろん様々な事情があってそう考えざるをえないこともありますが、苦手意識などは数を重ねていないだけ、知らないだけということも多いものです。

 

望む未来への道にはちゃんと課題が用意されていて、それは石ころのようなものだったり壁のようなものだったりしますが、それらをひとつひとつ手に取って対峙することで道が開けてくるように感じています。

その道には協力してくれたり助けてくれたりして、それはとてもありがたくて一人ではないんだなと心が温かくなります。

 

私自身、課題に出会ったときに怖くなることもありますし思うようにいかないことでがっかりすることもありますが、目の前の課題は道を進むのに必要なことを教えてくる道標なのだと感じています。

 

自分の可能性を信じて楽しみながら道を歩んでいきたいですね。

お読みくださりありがとうございました。

 

バッチ博士の思想

先日、夕方にふと空を見上げると小さく虹がかかっていました。大丈夫だよと言ってくれているようでした。

私は人間も自然の一部であると思っていますが、自然の中から石清水と37種類の植物を見つけ、レメディを創ったバッチ博士はどのような思想を持っていたのでしょうか。

 

人間は魂を宿していて、私たちは知識と経験を得るために生まれてくると述べています。魂とは本来の自分と言ってもいいでしょう。

魂はどのような環境や境遇が成長のために最善かを知っていて、その目的にもっともかなった人生の支流に人間を配しています。

病気は本来有益であり、人格を魂の神聖なる意思へと引き戻すために生じています。『エドワード・バッチ博士著作集』より引用

バッチ博士は、病気や問題は本来の自分自身の道を思い出させてくれるために起こると述べています。

問題が起きた時に何を教えてくれているんだろう、と考えるとその問題から学ぶことができますね。

 

そして、このような言葉も遺しています。

神を、そして仲間を心から愛するということは見返りを求めずただ献身したいと心から願うことだろう。おそらく人が良く知っている愛に一番近い体験とは、手の届かぬほど美しい夕日や星降る夜、素晴らしい音楽、あるいは山々や荒野の美しさにふれることだろう。『エドワード・バッチ博士著作集』より引用

このような考えを持っていたから、自ら喜んで人間のために働く植物であるフラワーレメディを創ることができたのですね。

初めて著作集を読んだ時のあたたかな気持ちがよみがえってきました。

 

 

 

オークの木

 


今日はオークの木のお話をしたいと思います。

オークはヨーロッパナラという大きなドングリの木で、たくさんの実(ドングリ)を付けますが、落ちた実のほとんどが食べられてしまいます。

昆虫や鳥や動物、苔を含む植物など2300種の生物がオークの木に集まり、暮らしているからです。

 

頼りになるオークですが、木の幹は空洞になるほどまで頑張り続けています。

 

このようなオークの人たちは、疲れていても弱音をはくことなく一人で頑張り続けようとします。

喜んで周りの人たちを助けようとするのです。

 

一見、問題はないように見えますよね。

 

このまま頑張り続けたらダウンするかもしれませんし、さらに努力を重ねて病気のサインに気付くのが遅くなるかもしれません。

また、手を貸すことで、相手が成長できる機会を奪ってしまうこともあるでしょう。

 

実際、オークの木はドングリを実らせない年があり、その年は周りの生き物が成長すると言われています。

 

オークは周りを、目の前の人を信頼し見守っています。

その人自身やその人の持っている力を信じているのです。

 

そして、頼ったり頼られたりしながら、共に生きていると再認識するのだと思います。

 

今日は最近の自分を省みて、オークの木に思いを馳せる時間になりました。

 

頑張り続けているのにまだ努力が足りないと思う方や、病気療養中の方にもこのお話が届きますように✨

 

願い


今でも鮮明に思い出す、2011年3月11日は東へと移動していた日でした。

 

揺れを経験したあとしばらくは、少しの揺れや音に反応している自分がいました。

そんな風に怖かった経験から私たちは、揺れや音、暗闇などストレスのきっかけになるものに敏感に反応するもので、それは人によってさまざまです。

 

ショックな出来事があった時に、鮮明に憶えていることもあれば、自分が何をしたのかなどほとんど憶えていないこともあったりします。

また、急に耳が聞こえなくなったり、食べ物の味が分からなくなったり、においを感じられなくなったりなど、身体に異変が起こることもあります。

 

私自身、大切な人が空へ帰り、月日が大分経ってから悲しむことができたように、

悲しいとかつらいとか怖いなどの感情を止めないとやっていけないから、しばらくは感情を感じられなくなることもしばしば起こります。

 

このようなことは自分を守るために起きていることで、そうなることが悪いわけでも心が弱いわけでもないのですが、そんな自分を責めてしまう人もいるかもしれませんよね。

 

なので、大人だけでなく子供もこのようなことを少しでも知っていると、そのような経験をした人に対して優しく見守ることができると思いますし、何より自分自身が当事者となった時に、今の自分を理解する助けとなるのではないかと思っています。

 

心の授業を皆が受けられるような世の中になったらと願っています。

 

 

 

 

胸を痛めている方へ


2024年に入り、災害や事故が続けて起きました。

北陸地方などの皆様、事故に遭遇した方々が、少しでも早く安心して暮らせるよう祈るばかりです。

 

そして、ニュースを見聞きして苦しくなった方もおられるのではないでしょうか。

ショックな映像を見たり報道を聞いて恐怖を感じ、当事者の気持ちを考え、共感して心が疲れているのだと思います。

そうすると、食欲が落ちたり、眠りにくくなったり、不安な気持ちが続いたり、気力がなくなったりと症状が出てくることもあります。

 

もしあなたがそのような状態になっているとしたら、情報から離れる時間を持たれてみてください。その後が気になるかもしれませんが、ご自分の心を守るために数時間でもそこから離れてみましょう。

 

胸が痛むのは、それほど関心を寄せられる心をお持ちなのですから。

 

リラックスできることやリフレッシュになることで、いつもの自分を取り戻していきましょう。どうぞご自身も大切に。

 

そしてもし、何もできない自分をはがゆく感じるようでしたら、無理のない範囲でできることを見つけていくと無力感からも解放されていくと思います。